ベランダダイブ

「えええ、かわいい。動画をとってよ」

手ですくって飲むことがあると言ったら、うちの子はだれもそうやって水を飲まないよ。是非動画をとってよと言われた。ねこじゃらしにとびついてスタート地点に戻って闘牛の牛のように尻を左右に振って勢いつけて走り出て猫じゃらしにタッチしたらすぐ椅子の下のスタート地点に戻る。これをなんどでも繰り返す。きっと楽しいのだろうな。

二十二年六月　クウッと鳴き声が聞こえた。リードをとって遊ばせていたので心配になりベランダをさがした。右にも左にもいない。隣の家ものぞきこんだがいない。まさかと下を覗き込むと真下に全身黒い猫がいて手を嘗めている。スワッベランダから落ちた。「ジルー」呼んだら上を向いた顔が白かった。振り向いたらジルが正真正銘の黒猫のジルが部屋の中からこっちを見ていた。

トイレの前で入りたそうに考えている。そしてこっちを見る。そうかそうなのかと開けるとブツがある。片づけると入りそうになる。見ると入らない。そして入る。トイレは一度使うとこっちをみて片づけてくれと鳴く。要はきれい好きということだ。夜中など廊下の先まで爪音高くカーブを切ってたったかたったか走り回る。興奮しているのか夜行性の本性発揮か。寝室で寝ていると、居間のほうからクーンクンと甘えた泣き声でなんでひとりにしたとばかりに走り込んでくる。そのくせ布団には入らないでまた帰っていく、のだが。

二十三年八月十五時。ベランダで遊ばせていたら姿が見えない。うちへ入ったかと捜したがいない。家の中のいそうなところを何周捜してもいない。呼んでも声がしない。テディも巻き込み捜したがどこにもいない。「べランダで遊ばせていたら消えた」と言い途方に暮れた。

「声が聞こえないか」

と言う。小さく声が聞こえた。テディの呼びかけに答えたのだろう。その声は隣の家ではなく下の方だ。その時ピンポン！とベルが鳴った。ドアを開けるとマンションの奥さんが立っていた。

「猫飼ってますか？」

「いなくなっちゃって探してたんです。」

「今猫が落ちてきたんですが。」

「けがをしてますか？」

「わからないです。ベランダで鳴いてます。すごい音がしてなにかがおちてきたんですよ。」

真下の家に入らせてもらいベランダを見た。ガラス窓をひっかくようにして部屋に入りたがっているジルがいた。戸を開けて急いでだっこした。ふるえていた。

二十三年九月　３階から２階のベランダへ落下したその週末マンションの総会があった。そこで『ネコが降ってきた』と何回か言われた。総会後、階下の御主人に個人的にあやまったら周りを巻きこみたそうに又言われた。アレルギーがある家族がいる、ショックだった、と言いながらもそのフレーズが結構楽しいのかもしれないと思った。その後ジルはベランダで遊んでいない。そしてこれが原因かと思われるがマンションの居住者に対してペットの状況を調査することが決まった。顔写真付きで、種類・名前・年齢などの記入欄があり、今飼っている一代限りという制約がついた。今までは暗黙の了解状態だったマンションの規約をひとつはっきりさせるという役目を担った形になったジル様のこの『ベラ ンダダイブ』は、命を賭けた大仕事だったと言えよう。

呼ぶと答える。呼ぶと来る。だいぶ犬化してきているとテディは言う。もう少ししたら人間化してくるかもしれなく、そんなジル様の笑顔がいつか見たいものだ。